私がマイコンと出会ったのは、石油ファンヒーターでした。
当時勤めていた三菱電機サービスセンターで石油ファンヒーターに関わっていたのです。
これまでの反射石油ストーブと違い、ガスコンロのような強力なバーナーで暖めた空気を送風ファンで送り出す画期的なものでした。
スイッチを入れると灯油をガス化するためのポッドがヒーターで温められ、ガス化できる状態になるとポンプで灯油を送り出し、ガス化して燃焼を開始し、送風ファンで温風が出る。
温度設定、タイマー設定なども行える。快適な温度で、うっかり寝てしまっても設定時間後に自動的に止まるのだからとても便利なものでした。
これらの制御を行っているのがマイコン(当時は2×5cm位の大きさ)だったのです。
マイコンが温度や燃焼を監視して一連の制御を行い、安全・快適を担保してくれていたのですから、その小さなコンピュータは衝撃的でした。
短時間で部屋を暖めてくれる。雪国北陸の人間としては大変重宝しました。
その後、三菱電機が国内初の16ビットパソコン「マルチ16」を世に出しました。
当時は本体価格が123万円、プリンタや増設メモリを含めると168万円でしたが、生涯初の高い買い物でした。
勉強がてら電卓を始め、いろんなソフトを作りました。それもあってか私は中部地区の「パソコンサポートエンジニア」に任命され、コンピュータの世界に足を踏み入れていったのです。
コンピュータはプログラムがなければただの箱でしたが、目的に応じてプログラムさえ作れば、
キーボードから文字を入力し、計算やデータ処理ができるだけではなく、画面に字や絵が出せて、ビープ音が出せる。プリンタをつなげれば印刷することもできるという何にでも化けるマジックボックスだったのです。
コンピュータによる自動化はとても汎用的で、社会貢献のための大きなツールになると確信し、私は来阪し、その道に入ったのでした。